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おいしい台所

きょうも台所にいます。

給食袋と子ども達を見て思い出した昔のこと

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今、子ども達の学校ではお箸はマイ箸ではなく、学校で出されます。だからお箸を持って行きません。毎晩給食袋に準備するのは、コップと歯ブラシとミニタオルだけ。

でも、私が小学生だった頃は自分の箸を持って学校に行っていました。毎日献立表を見て、箸の日、スプーンの日を確認し準備する。お箸の日のみんなのランドセルからは、カチャカチャと箸箱の音が鳴っていました。

 

小学校4年の時のこと。献立がうどんだったのに、私はお箸を忘れてしまいました。「あー忘れちゃった」と思いながらも「大丈夫、先生に話して、割り箸をもらおう。自分でどうにか出来る」と先生にごめんなさいを言う準備をしていました。すると、4時間目が始まる前に教室で先生に呼ばれたのです。「○○、お母さんから。」先生の手には私の箸箱がありました。

その時の私の気持ちは、母への感謝ではなく「なんで、いらないのに持ってくるの。先生にちゃんと言えば割り箸もらえるのに。」でした。そんなことしなくても、自分でどうにか出来るのに。学校にお母さんが来るなんて恥ずかしいじゃない。そんな風に思ったのを覚えています。



4・5年生ともなると、自分の世界も出来はじめ、自分と親を区別しはじめ、親と一緒の自分が恥ずかしいとちょっと思いはじめる頃です。調度今の私の娘がそうであるように。だからあの時の自分の気持ちもわかるのですが、逆に母の気持ちも痛い程にわかります。


自分の子どもが困っているところを想像すると、親は辛いのです。助けてあげなきゃと思うのです。特に、「食べる」行為に関しては、嫌な思いをさせたくないと思うのです。時間を割いても、遠くても、箸1本でも、届けてあげなきゃと思うのです。小学生なんて、まだ何も出来ない子どもだと思うのです。

 


あの時の母に感謝をするのにそう時間はかからなかったけれど、何故わざわざ「箸箱」を母は届けてくれたのかはなかなか理解出来ませんでした。
今逆の立場になって、やっとわかります。

 

母は家に忘れられた箸箱を見て、献立表を見て、午前中の家事もそこそこに自転車に飛び乗ったのだろう。私が困っていないか、もし食べられなかったら可哀想だ。そんなことを考えながらペダルを漕いだに違いないのです。

「自分でどうにかできるのに。来なくていいのに」

そう言われても、助けてあげたい。そう思うのが親なんですよね。

 

 


 子どもの気持ちはどんどん親から離れていくのに、親の気持ちはずっと変わらない。子どもから見た親はどんどん小さく見えてくるけれど、親から見た子どもは赤ちゃんのときからずっと変わらない。


切ないけれど、そうなるのが正しくて、それが子育てというものなんだろう。

 


給食袋にコップと歯ブラシを入れて翌日の準備をする子供たちを見ながら、ちょっとジワリときてしまった晩でした。

 

 

 

 

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